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麦と土の香

 3年ほど前の母の日の前週、お花屋さんで、このバラを見つけ、これをプレゼントに下さいなと、娘から無理やりもらったブルームーン。

今年は株の勢いもよく、元気に咲きました。

とってもよい香りがします。ピンクがかった紫色といい香りといい、とってもステキな花。
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この間、お山から帰る時、久しぶりに、小麦の穂を見た。


昔は、裏作に、小麦・大麦・ビール麦などよく作っていたので、あちこちに麦畑があった。

ふっと、穂ばらむ時期、雨後のみずみずしい穂の海としっとりと濡れた黒土のむせるような香りを思い出した。


小5の時、いつも算数の難しい問題を後ろを向いては質問してた男の子Oくん。丁寧に分かりやすく教えてくれた。

彼は、お父さんが朝鮮の方でお母さんが日本人だった。

我が家から3キロほど離れた朝鮮の方たちが一緒に住んでいる区域(みな朝鮮部落と呼んでいた。)に住んでいた。

その地域で、詳しいことはわからなかったけれど、隠れてお酒を造っていたとかで、警官隊が幌のかかった車で来て、たくさんの男の人たちを逮捕したとのことだった。

Oくんの家は、お母さんが日本人ということで、どうもこの地域の人たち(たぶんほとんどが朝鮮の方たち同士で結婚していたんだと思う。)から見ると、彼の家は、日本人だと、そして日本の人たちから見れば、朝鮮人だと差別されていたと思う。

つまり両方から差別されていたようだった。

(私が、教室で彼と話したり、親しくしていると、決まって白い眼があったから・・・。)

それで、この密造事件を警察に知らせたのはOくんの家だと決めつけられてしまったらしい。

その結果、この地域から、Oくんの家族は立ち去らなければならなくなっていたのだ。



引越しの前日、Oくんは我が家を訪ねてくれた。

彼がくれたもの、今でも忘れない。

「ノートルダムのせむし男」の本とボール紙で作った貯金箱。

私は、何も差し上げるものがなかったなあ。

ただただ、理不尽な理由で、住みなれた所を去らなければならないOくん家族をとってもとっても不憫に思った。


別れがたく、彼を送っていった。

今は遊歩道となっているレンガ工場に通ずる引き込み線を二人で歩いた。

何の話をしたのか覚えていないけれど、ずっとずっと、話しながら線路を歩いた。

両脇には穂ばらんだ麦畑が広がり、雨をたっぷり吸った黒土から発する香りが鼻をつくくらいだったことを思い出す。



とうとう、彼の家近くなり、別れの時が近づいて、悲しくて仕方なかった。

帰りが心配だと、またOくんが送ってきてくれた。

思えば、あの胸キュンは、初恋だったなと思う。


今は、どうしているだろう。

東京へ行ったことは分かっているけれど・・・。



彼が愛読書としていた「ノートルダムのせむし男」、そのころ、彼の共感を理解できなかったが、少し成長してから、彼の置かれていた立場がよく理解できるようになった。

せむし男の背中のこぶは、取ることのできないカセのようなものだ。

彼の立場もまた同じようだった。


我が家は、朝鮮の人たちもよく来ていたし、父も差別のない人だった。

戦争に行き、シベリアで捕虜としての重労働を耐えてきた父、捕虜の中にはドイツ人もいたと言っていた。

マニラから釜山に転戦したそれぞれの地で、一般の人たちは、いい人たちだったし、ロシアの民衆も結構苦しい生活をしていたと言っていた。みな、庶民は同じだ。

ましてや、朝鮮の人たちは、決して自ら進んでこの地に来たわけではないからと。



Oくんは、きっと、あの優しさと聡明さで、無事、人生の荒波を乗り越えて生きていると思う。




 
by akaigabera | 2009-05-06 18:21
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