人気ブログランキング | 話題のタグを見る

遅霜対策

WBCの決勝戦前に、この椿を撮りたくて、歩いて郵便局の帰りに行ってきた。少し風もあるが、うららかな春の陽気。
遅霜対策_a0117893_11112022.jpg
辺りを圧倒するような色と大きなやわらかな花びら。陽を浴びて春の風にひらひらと。
 
この時期になると思いだすことがある。

養蚕農家だった我が家。

父は研究熱心な人だった。

生まれたばかりの蚕、まるで黒い点の集りのよう。

それを、ある程度の大きさまで育てるのを請け負っていた。

温度管理や餌となる桑の確保はとても重要だ。


木の芽どきの今頃、遅霜で、吹き出したばかりの桑の芽もやられてしまうのだ。

父は、この頃になると、寝ないでいたのか、ある時間に起きるようにしていたのか不明だが、

夜中の3時か4時ごろに、子供たちも起こされる。

風がやむと霜が降りるらしい。

よく聞いた父の「風が止んだぞ。出動だ!」の声。

父のオートバイのライトが照らし出す中、

家族総出で、たくさんの麦わらに水をいっぱい含ませて、桑畑に運ぶ。

あらかじめ空けてあった大きな畑の中心や周りにこの麦わらを置き、火をつける。

濡れた麦わらは、炎を上げることなく、煙だけを発して、大切な桑畑をやわらかくくるみ、

遅霜から、桑の芽を守ることができるのだ。

夏になれば、熱を帯びた桑の葉では、蚕の食欲も落ちるので、

朝早く切り取って来て、地下室に収め、

採ってきた桑に水を打ち、休ませる。

すると、冷蔵の手段のなかった時代なのに、桑は冷たくおいしく変身する。

このおかげで、我が家では、賞をもらうような大きな立派なまゆがとれた。

昔は、蚕を「おかいこさま」と言っていたので、多分、関東ロームの台地にある我が家、

水田はなかったので、大きな収入源になっていたのだと思う。
遅霜対策_a0117893_12141138.jpg

母が、姉の結納の際に、今でも姉とよく出かけるおばに送った紬が、

昨年、44年ぶりに、形見分けのように、私の所に戻ってきた。

ぶきっちょな母のこと、自分で織ったものではないようだが、

我が家でとれたまゆの周りにつく、ふわーとしたのを撚って糸にし、染めて、織ったものと思う。

素朴で、軽くて、ふうわりとしている。

どんなに、素晴らしい着物より、この一枚は私の一番。


素晴らしい、勝ちました。見事です!
by akaigabera | 2009-03-24 11:50
<< 冬鳥さんたちとお別れです。 赤いガーベラ >>